忍たま乱太郎の映画、劇場版「ドクタケ忍者隊最強の軍師」を観てきました!
一言で言うと、感想は「おもしろかった」です!
見るぞ! pic.twitter.com/RMZgitn5Xv
— ゲノコ@最近はブルスカにいます (@guenopon) December 19, 2024
正直、少し心配していたタレント枠声優の方々も違和感なく、作品の雰囲気にしっかり溶け込んでいました。
また、アニメ版より少し大人びたキャラクターの頭身も納得の仕上がりで、劇場版ならではの深みを感じました。
ただ、全体的に大人向けの雰囲気が強めで、
小さなお子様には厳しい内容かもしれません
土井先生による映画の予習
あらすじ
土井半助が、タソガレドキ忍者の諸泉尊奈門との決闘後、姿を消した。
諸泉は「勝利した」と言い張るが、タソガレドキ忍び軍組頭の雑渡昆奈門をはじめ、忍術学園側も誰一人信じようとはしない。
土井の身に何かが起こったのだと考え、捜索が始まる。
やがて、ドクタケ忍者隊が人を運んでいたという目撃情報が入り、さらにドクタケ側に謎の軍師が現れたとの噂が広がる。
その軍師の名は「天鬼(てんき)」。
隣接するタソガレドキ城周辺をはじめ、一帯が不穏な空気に包まれていく。
天鬼と名乗るその軍師は、才覚に優れるばかりか、戦闘力も圧倒的で、忍術学園の六年生が総出で挑んでも全く敵わなかった。
その正体は――土井半助だった。
ここから本格的なネタバレいきます!
土井は諸泉との戦いの最中、誤って崖から落ち、頭を強打して意識を失っていたところをドクタケ忍者隊に発見された。
そして、記憶を失った土井半助はドクタケ側に囲い込まれ、「ドクタケこそが正義で、忍術学園は悪」と思いこまされてしまっていたのだ。
山田伝蔵と利吉親子、忍術学園卒業生たち、六年生、五年生は土井の奪還を目指して奔走する。
一方、雑渡昆奈門は天鬼を脅威と見なし、その身を狙っていた。
そんな中、一年は組の生徒たちは「自分たちの力で土井先生を取り返す」とドクタケ領内に侵入するも捕らえられてしまう。
ドクタケ忍者隊首領の稗田八方斎は、天鬼に乱太郎、きり丸、しんべヱを斬るよう命じる。
天鬼が三人を殺せば、記憶を取り戻したとしても土井半助として忍術学園に戻れないと考えたのだ。
山田伝蔵らが天鬼の元にたどり着いたその瞬間、彼は刀を子どもたちに向けていた――。
きり丸の必死の呼びかけにより、土井半助は記憶を取り戻し、刀を振り下ろして子どもたちを拘束していた縄を切った。
その場で山田伝蔵たちはドクタケ忍者隊を捕え、土井半助は一年は組の子どもたちとともに忍術学園へと帰っていった。
原作「ドクタケ忍者隊最強の軍師」について
今回の映画は、2013年に発行された小説「ドクタケ忍者隊最強の軍師」が原作です。
表紙や挿絵は「落第忍者乱太郎」の原作者である尼子騒兵衛先生が担当されていますが、小説本文を書いたのは阪口和久さん。
そして今回の映画でも、阪口さんが脚本を手掛けています。
アニメや漫画がギャグを基調とした明るい作風なのに対し、小説ではハードな描写が際立ちます。
たとえば、土井半助と諸泉尊奈門の決闘シーンは、鬼気迫る緊張感で描かれており、シリーズの他の作品とは一線を画します。
本作では、土井半助の「厳しくも優しい先生」というイメージを覆す隠れた一面が描かれ、キャラクターに深みが加わっています。
また、土井半助と山田伝蔵、土井半助ときり丸の関係性が掘り下げられている点も大きな魅力です。こうした背景から、ファンの間で長らく映像化が待たれていた作品でした。
とはいえ、アニメとはあまりにもテイストが異なるため、「映像化は無理だろう」と思われていた作品でもあります。
それが今回、まさかの映画化!
↑みんな、これ見てどよめいたよね
発表から公開までドキドキの日々でした
「ドクタケ忍者隊最強の軍師」映画と原作の違い
映画版では、小説版に比べていくつかの変更が加えられています。
その中でも特に印象的だった3つのポイントを挙げてみます。
土井半助が崖から落ちる理由
小説版では、土井半助が隠していた武器をきり丸が金目当てに回収してしまったため、それを使えず、結果として崖から落ちる展開でした。
一方、映画版では、近くに鳥の巣があることに気付いた土井半助が、鳥を傷つけないよう配慮した結果、崖から落ちるという流れに変更されています。
土井先生の優しさや責任感がより強調されていますね
六年生 対 天鬼
小説版では、六年生が最初に天鬼と対峙するのはドクタケの詰所で、文次郎と仙蔵が天鬼のもとへ忍び込んでの対決でした。
一方、映画版では場所が竹林に変更されます。
天鬼は六年生の気配を察し、自ら出向いてきて、六年生全員と対決。
ここでは、六人全員がコテンパンにやられて怪我を負うという、より激しい戦闘シーンが描かれています。
傷つき流血し、着衣も汚れていくさまがリアルで生々しい……
特に伊作と文次郎は映画終了まで片目を晴らしたままという痛々しさ
土井先生救助に向かうメンバーの変更
小説版では、土井半助を救助に向かうのは乱太郎、きり丸、しんべヱの3人だけでしたが、映画版では1年は組全員が協力して行動します。
映画1作目では団蔵を、2作目では喜三太を一年は組が一丸となって救助するという流れがあり、今回もその「お約束」をしっかり踏襲しているように感じました
感想
土井半助と天鬼
優しい表情や困った笑顔がトレードマークの土井先生。
一方、天鬼は半眼で冷ややかな表情を崩さず、感情を見せることはほぼありません。
土井先生と天鬼はまるで別人のように見えますが、実際には、環境の違いが生んだ同じ人間の二つの顔だと思います。
映画で描かれた曼珠沙華(血)や藁人形(死体)といった描写が暗示するように、土井先生の過去は凄惨なものでした。
家族を皆殺しにされ、ただ一人生き残った彼は、忍者としての厳しい訓練を受け、生き延びてきました。
そんな彼が崖から落ち、誰に保護されたかで「土井半助」と「天鬼」に分かれるのです。
山田家に保護され、家族同様に扱われた彼は、忍術学園で子どもたちを導く「土井半助」としての人生を歩みました。
それは、暖かさと希望に満ちた思い出に支えられた彼の姿です。
一方で、「天鬼」は山田家や忍術学園での温かな絆や思い出を持たない、いわば「素の彼」。
頭が切れ、沈着冷静で有能な忍び――それこそが、土井半助本来の姿なのだと思いました。
映画で示唆された土井先生の凄惨な過去に興味を持った方は
こちらの記事もぜひご覧ください
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山田利吉とお兄ちゃん
記憶を取り戻した土井半助に、山田利吉が駆け寄ります。
最初は「土井先生!」と声をかけますが、その直後に少し声を落とし、「お兄ちゃん」と呼びかけました。
二人が出会った時、利吉は12歳、彼は19歳でした。
当初はぎこちない関係でしたが、次第に打ち解け、最終的には利吉が「お兄ちゃん」と呼び慕うようになりました。
その頃、彼に「半助」という名前はなく、利吉にとってただの「お兄ちゃん」だったのです。
しかし、その「お兄ちゃん」は山田家を出て忍術学園の先生となり、「土井半助」として新しい人生を歩み始めました。
利吉はきっとそれを後から知り、彼を「土井先生」と呼ぶようになったのでしょう。それでも、利吉にとって土井は、心の中ではずっと「お兄ちゃん」のままだったのがよくわかる瞬間でした。
「半助」という名前や土井先生が本名を名乗らない理由については
こちらの記事で紹介しています
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踊るドクタケ忍者隊
謎の長尺ダンスシーン。 笑
まるっきり「忍ミュ」そのもので、シアターGロッソで踊る彼らの姿が脳裏に浮かびました。
と思ったら、実際、振付は忍ミュの方が担当されていたそうです。
納得です。
そして、そんな彼らの全力パフォーマンスを、無表情でじっと見守る天鬼の姿。
とってもシュールでした。 笑
きり丸
寺と思われる建物の床下で、襤褸にくるまり、雪がちらつく中うつろな表情で座り込む幼いきり丸。
その姿には胸に迫るものがありました。
今のにぎやかでたくましい彼からは想像もつかないその姿に、どのような生き方をして現在のきり丸になったのかを思わず考えてしまいました。
全部が語られるわけじゃないからこそ、
いろいろ想像できる余地があって、
そこが忍たまワールドの底知れなさを感じるポイントなんですよね
まとめ
今回の映画は土井先生がメインではありますが、実際には土井先生をめぐる人たちの感情や思惑、行動が丁寧に描かれていて、むしろ群像劇のような印象を受けました。
そのため土井先生の出番は思ったほど多くありませんでしたが、山田親子やタソガレドキ忍者隊、忍術学園の生徒たち、そしてドクタケ忍者隊まで、それぞれのキャラクターにしっかりと見せ場があって、みんなの物語として存分に楽しめました。
そして何より、長い間待ち望んでいた「ドクタケ忍者隊最強の軍師」がついに映画化され、動く天鬼をスクリーンで見られたことに感動!
期待を裏切らない完成度で、大満足の作品でした。
映画をきっかけに土井先生の過去や
忍術学園以前のエピソードに興味を持った方は
こちらの記事もぜひご覧ください
土井先生が育ったカエンタケ忍者隊とその確執について
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土井先生の半生を時系列で紹介
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